枯れ葉色の犬

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彼はタレのついてないツクネくんです 1/1

ぼくは村田こげちゃったハツです
   ~エピローグ~

彼は、村田タレのついてないツクネくんです 1/1

 ツクちゃんの母さんは、れっきとした血統書つきのポメラニアンで、ツクちゃんは母さんに似て、小さくて毛がボーボーしていて、白っぽくて、人間には、とてもかわいく見えるみたい。
 でも、見た目に似合わず、ツクちゃんはとても気が荒い。負けず嫌いで、いつも威張ってる。ミユちゃんに言わせると「オレ様ツンデレ」なんだって。ツンデレってなんだろうね。
「ポメは吠えるっていうけど、ツクネの気の荒さは、父親に似たのかもしれないね」
 ばあちゃんはそう言っている。
 ツクちゃんの父さんは、どこの馬の骨ともしれないならず者らしい。らしいというのは、はっきりわからないから。ぼくとしては、犬の父さんなのに馬というのがわからない。
 ツクちゃんの母さんのモモちゃんは、カネコさんというお宅の庭で飼われてたんだけど、その庭に、馬の骨さんが足繁く通っていたとのこと。ある日、カネコさんのご主人が、モモちゃんの様子が変だな、と不審に思っていたところ、その日の夕方、突然赤ちゃんを産んだんだって。そのうちの一匹がツクちゃん。
  深窓の令嬢と(お庭で飼われているのを深窓と言っていいのか)行きずりのならず者との恋。それだけで、物語になりそうだけど、多くは語れない。だって、ぼくはまだ生まれてなかったからね。
 とにかくツクちゃんは気が荒い。
 知らない人が家に来ると、息が止まっちゃうんじゃないかと思うほど吠える。猫が庭を横切っただけでも許せないみたい。
 放っておけばいいのにって思うけど、
『そうは、いかねえ。ここは俺たちのテリトリーだ』
 ツクちゃんがそう言うので、ぼくも一緒に吠える。ぼくはツクちゃんには逆らえないんだ。
 初めて出会った時、
『なんでぇ、足ねえのか』
 ツクちゃんは、ぼくのからだの匂いをすみずみまで嗅いで、フンと鼻を鳴らした。
 ツクちゃんは、散歩の時に他の犬を見るとすごーく吠えるから、今思えば、鼻を鳴らしただけというのは、相当な歓迎だったんだろうね。
 当時のぼくは、一・二キロ入りの洗剤の箱に収まってしまうほど小さかったので、ツクちゃんがとても大きく見えたし、とても怖かった。ぼくたちの社会には、とてもきびしい順位制があって、その時にぼくの地位はツクちゃんより低いって決まっちゃったんだ。
 その後、ぼくは、ドッグフードをいっぱい食べて、どんどんどんどん大きくなって、今ではツクちゃんがぼくのお腹の下を通り抜けられるほど大きくなったけど、未だにぼくはツクちゃんに逆らえない。
 ある春の日のこと。
 お彼岸だとかで、会社も学校も休みで、ばあちゃんもパパさんもママさんも、シュンちゃんミユちゃんコウちゃんも、お墓参りの後、仏壇のあるばあちゃんの部屋に集まった。ぼくとツクちゃんは、ばあちゃんの部屋の前のテラスへ寝そべって日向ぼっこをしていた。
 テラスの先は土の庭で、その向こうにポヨタの駐車場があってフェンスで仕切られているんだけど、そのフェンスの上に、突然、一羽のトンビが舞い降りて来た。
 ぼくとツクちゃんは、さっと立ち上がって警戒態勢を取った。
 スズメやカラスやハトはしょっちゅうやって来るけど、トンビが来たのは初めて。トンビって大きいんだね。ぼくはびっくりした。
「珍しいね」
 みんなも驚いていたよ。
 もちろん、ツクちゃんはものすごく吠えた。
『誰だ、てめえ! 何しに来やがった!』
 尻尾を立てて歯を剥き出し、リードの長さの限界まで身を乗り出して、トンビを睨みつける。
 トンビは答えない。ただ、鋭い目でじっとこちらを見ている。ちょっと怖い。
『ハツ、何を黙ってる。あいつを追い払うんだ!』
『う、うん』
 一応は吠えてみたけど、トンビはその場を動かなかった。
『もっと気合いを入れろ! 俺らが家族を守らなくてどうする!』
『ツクちゃん……』
 ツクちゃんは単に気が荒いだけじゃなかった。庭に来る猫や鳥に吠えるのは、テリトリーを主張しているだけじゃなくて、家族を守るためだったんだ。散歩の時に、犬や猫だけじゃなくて、乳母車にも喧嘩を売る理由はよくわからないけど。
 ぼくとツクちゃんは、トンビに向かって必死に吠えた。
 やがて、トンビは黙って飛んで行った。
『俺様の怖さがようやくわかったか』
 ツクちゃんはフンと鼻を鳴らし、去って行くトンビを見上げた。
 とてもかっこいい。さすがはツクちゃん。
 でもね、ツクちゃんは、ぼくのお腹の下で吠えていたんだ。もちろん意識して入ったんじゃないと思うよ。とっさに立ち上がって、トンビに向かった時、偶然に入っちゃったんだと思うけど、トンビにツクちゃんの怖さが伝わったかどうか――。
「写真に撮っておけばよかったね」
 ばあちゃんもパパさんもママさんも子どもたちも、みんな笑ってた。
 それでも、ツクちゃんはぼくの兄貴分。きっとぼくは、一生ツクちゃんに逆らえない思う。でもいいんだ。ぼくはツクちゃんと一緒に家族を守る。
 ツクちゃん、これからもよろしくね。

26

それぞれの春 5/5

ぼくは村田こげちゃったハツです

それぞれの春 5/5




「来ると思った」
 アキトくんは笑っていた。
「え、ええと……」
 ミユちゃんは気まずそうに顔を伏せ、リードを持ってうろうろ。ボタンの一件があるからね、ぼくたちをつかまえて、一刻も早くアキトくんの前から立ち去りたいんだろうね。でも、
『つかまってたまるか』
 ツクちゃんがダッと駆け出した。だから、ぼくも走った。
「俺がつかまえてやるよ」
 アキトくんが、ぼくたちを追いかけ始めた。いつもと反対だ。
『こっちだよー。追いつけるもんなら追いついてみろ』
 ツクちゃんとぼくは、全速力で芝生広場を駆け回り、それをアキトくんとミユちゃんが追いかける。 
 本気を出したリクジョウブは速い。その上、いくら走っても疲れない。
 早々にぼくはバテちゃって、素直にミユちゃんの所へ戻った。でも、ツクちゃんはまだまだ元気に、芝生広場をぐるぐる回ってる。
「村田、そっちへ回れ!」
 アキトくんがツクちゃんを追いながら、大きく回り込んだ。
「はいっ!」
 ミユちゃんがリードを構えて、ツクちゃんの行く手に立ちふさがる。
『俺をつかまえようなんて、百万年早ぇ!!』
 ツクちゃんが、ビュッと方向転換した途端、
「捕獲完了」
 アキトくんがツクちゃんを抱き上げ、ツクちゃんはあえなく御用となった。
『放せ~放せ~』
 暴れるツクちゃんの首輪に、カシャッとリードがかかる。
「ありがとうございました」
 息をはずませてミユちゃんはペコリと頭を下げる。その拍子にまた「クシュッ」。
 ミユちゃんは真っ赤になって、そのまま顔が上げられなくなった。
「あ、そうだ。ほら」
 ミユちゃんの前に、ずいっとアキトくんの手が差し出された。
 そこに乗っていたのは、制服のボタンだった。しかも、袖についてる小さいのじゃなくて、大きい方。

25
「え?」
 ミユちゃんは顔を上げた。
「むしられる前に取っといたんだ」
 アキトくんはちょっと恥ずかしそうだった。
 ミユちゃんは、おずおずとそのボタンを手に取り、ボタンとアキトくんを交互に見た。
「春休み中は、俺、だいたい毎日ここで走ってるから」
 アキトくんはそう言うと、「じゃあな」と、ミユちゃんに背を向けて駆け出した。これもいつもと反対だ。
 ミユちゃんは、しばらくの間、目を丸くしてアキトくんの後ろ姿を見つめていたけど、そのうちにパアッとキラキラの笑顔になった。

「ご卒業、おめでとうございます!」

 春の空に、明るい声ミユちゃんの声が吸い込まれる。
 アキトくんが、振り返って軽く手を挙げた。
 帰り道、
『春休み中、ここで走ってるって、あれはぼくらが捕まらなかったら、手伝ってやるっていう意味かな?』
 ぼくが尋ねると、
『今度は負けねえ』
 ツクちゃんは闘志を燃やしていたよ。
 春休み、ぼくたちとアキトくんが思う存分追いかけっこをしたことは言うまでもない。


 新学期が始まった。
 コウちゃんは小学校五年生、ミユちゃんは中学三年生、シュンちゃんは高校二年生になった。
 庭の椿が満開になって、桃の花も咲き始めて、みんなのくしゃみはいっそう激しさを増している。
 リョウジくんは、相変わらずうちへゲームをしに来る。そして、キンココーンが鳴ってぼくが歌うと塾へ行く。でも、もうゲームを貸してとは言わなくなったよ。
 つけ加えると、コウちゃんはガッキュウイインに立候補したんだって。みんなの前でちゃんと意見を言えるようになりたいからだって。ガッキュウイインって何だかわからないけど、ママさんは喜んでいたよ。何たって、一年生の時は、学校へ行きたくなくて、靴をはかなかったコウちゃんだもんね。
 シュンちゃんは、デッサン教室へ通うようになった。美大へ行って、インダストリアルデザインとかいうのを勉強するんだって。インダストリアルデザインって何だろうね。
 ミユちゃんは、部活と宿題が忙しくて、ワッパザワ公園へ行けなくなった。でも、アキトくんからもらったボタンは、いつもポケットに入れて大事にしている。


 そんなある日曜日のこと。
 ぼくは、庭にそのボタンが落ちているのを発見した。
『せっかくもらったアキトくんのボタンなのに』
 ぼくはボタンをくわえると、庭の隅へ行って、前足で穴を掘る。
「ママ、あたしのウインドブレーカーは?」
 家の中からミユちゃんの声がした。
「洗濯しちゃったわよ。ミユ、今日は部活、休みでしょ?」
「えー!?」
 ミユちゃんがバタバタと庭に出て来た。干してあるウインドブレーカーのポケットをごそごそと探る。
「やだ、ない! ここに入れておいたのに!」
 ミユちゃんは泣きそうな顔で、あちこち見回した。ふと、ぼくと目が合う。
「ハツ……何をホリホリしているの?」
 えーと。もしかしてミユちゃんが捜しているのは、このボタン?
「ハツー!!」
 ミユちゃんがすごい形相でこっちへ来た。
『あの、その、大事な物は隠しておいた方がいいかと思って……。ごめんなさーい』
 ボタンを返したら、ミユちゃんの御機嫌はすぐによくなった。
「夏休みが待ち遠しいね」
 ミユちゃんはボタンを握り締めて空を仰ぐ。途端に、「クシュッ」と小さなくしゃみ。
 そうだね。夏休みになったら、ママさんとパパさんと、シュンちゃんミユちゃんコウちゃん、ばあちゃんも連れて、ワッパザワ公園へ行こう。そうしてみんなで思いっ切り追いかけっこしよう。
 その頃にはきっと、みんなのくしゃみも止まってると思うんだ。

それぞれの春 4/5

ぼくは村田こげちゃったハツです

それぞれの春 4/5



 ツクちゃんは、アキトくんに駆け寄って、足元にまとわりついた。
 アキトくんは、ミユちゃんと同じ中学で、リクジョウブの先輩。コショウチュウだったアキトくんと、この芝生広場で一緒に走ったのは、去年の夏休みのこと。
「よう、ちっこいのと足のない犬」
 アキトくんは足を止めて、ぼくたちの頭を撫でた。
『違うよ、タレのついてないツクネと、こげちゃったハツだよ』
 一応言ってみた。通じないとは思うけど。
 そこへミユちゃんも雑木林から出て来た。
「先輩――」
 ミユちゃんは、ぼくたちに気づくと、ピタッと足を止めた。
「久しぶり」
 アキトくんは、ミユちゃんに向かって軽く手を挙げる。
「あ、あの、先輩、どうして……」
 ミユちゃん、頬が真っ赤だ。
「入試が終わったから、体がなまんないように自主トレ」
「……そうですか」
「犬、つかまえるか?」
「い、いいえ……まだ……」
 ミユちゃんはアキトくんから目を逸らす。ミユちゃんは、どういうわけか男の人と喋るのが苦手なんだ。男の兄弟に挟まれて育ったのに不思議だって、ママさんはいつも言っている。
「じゃ、行くか。ちっこいのと足のないの」
 アキトくんは、そう言ってまた走り始めた。
『おう、追いかけっこしようぜ』
 ツクちゃんがダーッと駆け出した。その後ろを、ぼくはボテボテと走る。
 夏に一緒に走った時よりはだいぶ楽だけど、やっぱりリクジョウブと、超軽量のポメミックスには敵わない。しばらくの間、がんばって走ったんだけど、どうしてもふたりに追いつけない。
『疲れた~』
 諦めてミユちゃんのところへ戻ると、ミユちゃんは黙って、アキトくんを目で追っている。何だか、寂しそうな目だ。
「欲しいって……言ってみようかな……」
 やがて、ミユちゃんはつぶやいた。
『え? な、何を?』
 欲しいって、前にもそんなこと言ってたけど、ぼくが庭に埋めたジャーキーや豚足じゃないだろうね。
「でも、もう予約がいっぱいだろうな。先輩、もてるし……」
 ヨヤク? ぼくたちが病院に行く前に、ママさんが電話しておく、あのヨヤク? アキトくんに何をヨヤクするんだろう。
 その時、例のキーンココーンキーンココーンという有線放送が鳴った。
『うお~ん、うお~ん』
 ぼくは思わず歌い出す。そうしたらその間に、リードをつけられちゃった。

24
「村田。俺、帰るけど」
 アキトくんがこっちへ走って来た。ツクちゃんはまだアキトくんの足元を行ったり来たりしている。
「あ、はい……」
 ミユちゃんは慌てた様子でリードを準備した。
『つかまるもんか』
 逃げようとするツクちゃんの首輪を、アキトくんははっしとつかまえた。
「あ、ありがとうございます」
 ミユちゃんはツクちゃんにリードを着けると、「あ、あの……先輩……」と、アキトくんに向き直った。
「なに?」
 アキトくんと目が合った途端、ミユちゃんはカーッと耳まで真っ赤になった。そして、「クシュッ」と小さなくしゃみ。
「おもしれーくしゃみ」
 アキトくんがクスッと笑った。
 ミユちゃんはいっそう赤くなって、
「お、お疲れ様でしたっ!」
 リードを握りしめてダッと駆け出した。ミユちゃん、ヨヤクはいいの?


 それからの一週間、ミユちゃんは「どうしよう。ほしいけど……でも……」と、ぶつぶつ言ってばかりいた。
 


「よし。アレルギーの薬は飲んだし。ティッシュも持ったし」
 おっとりミユちゃんが、いつになく険しい表情でぼくたちを散歩に連れ出したのは、次の日曜日の夕方だった。公園へ行く途中の畑では梅の花が咲き始め、あたりには甘酸っぱい香りが漂っている。
 だいぶ日が長くなったせいか、公園の遊歩道には大勢の人がウォーキングやジョギングをしていたし、飼い主さんと散歩する犬もたくさんいた。
 天然ドッグランにも先客がいた。残念。
 でも、ミユちゃんは構わずに、ぼくたちを連れて河原へ降りた。川を渡って雑木林に入る。芝生広場へ行くつもりだ。
 芝生広場には、アキトくんがいた。先週と同じように体育着で走っている。
「よう、今日は、犬を放してないんだな」
 アキトくんはぼくたちに気づくと、そう言ってこっちに走って来た。
 ぼくたちもミユちゃんを引っ張って、アキトくんの方へ歩いて行った。
 後ろで、ゴクリと、ミユちゃんが唾を飲む音がした。ピンと張ったリードが細かく震えている。ミユちゃんの手が震えているんだ。
「どうしたんだ? 何だか顔が怖いぞ」
 アキトくんはミユちゃんの前で立ち止まった。
「よ、予約したいんです。せせ制服のボタン」
 突然、ミユちゃんが言った。
「え――?」
 アキトくんの目が丸くなる。
「前ボタンなんてぜいたく言いません。袖の飾りボタンでいいんです。お願いします!」
 ミユちゃんは深々と頭を下げると、バッと踵を返して走り出した。
 振り返ると、アキトくんはびっくりした顔のまま、まだそこに立っていた。
 ぼくもびっくりしたよ。
 ミユちゃんがほしかったのは制服のボタンだったわけ? どうしてそんな物がほしいの? 食べられないじゃない。ってか、もう帰るの? ぼくたちまだトイレが済んでいないんだけど。


 梅の花が終わって、桜が咲き始めた。
「……クシュ……」
 その日、ミユちゃんはいつもより早く学校から帰って来た。くしゃみの勢いがよくない。どうしたんだろう。
 ミユちゃんは私服に着替えると、テラスへ出て来た。なんだか暗い顔だ。
「今日、卒業式だったんだ……。学活の後、先輩のクラスをちょっとのぞいてみたけど、制服のボタン、もう一個も残ってなかった……」 
 ミユちゃんは、ぼくたちの頭を撫でながら、大きな溜め息をつく。
『そんなボタンぐらいでがっかりすんな』
『そうだよ。おいしくないもの。それより散歩行かない? 気晴らしになるよ』
 ぼくは、散歩用のリードをくわえて、尻尾をぶんぶん振った。
「しょうがないなあ」
 そう言いながらも、ミユちゃんは散歩用のリードに付け替えてくれた。
 ぼくたちは、のろのろ歩くミユちゃんを引っ張ってあげた。もちろん行き先はワッパザワ公園。
 平日だからか公園は人が少なくて、天然ドッグランには誰もいなかった。リードを外してもらうと、ぼくたちは芝生広場へまっしぐら。
 卒業式だったっていうのに、広場ではアキトくんがいつものように走っていた。
「嘘っ!」
 追いかけて来たミユちゃんが、アキトくんを見て立ち止まった。

それぞれの春 3/5

ぼくは村田こげちゃったハツです

それぞれの春 3/5 


  コウちゃんは、ビクッと身をすくめて、リョウジくんを振り向いた。
「で、でも、ゲームの貸し借りはよくないって……」
「母ちゃんには黙ってればわからないって。なあ、貸してくれよ。俺、今日も塾でさ。ここで遊んでいけないんだもん」
「……だ、だめだよ」
 そう言うコウちゃんの声は、とっても小さかった。しかもうつむいている。
「いいだろ。上がるぞ」
 リョウジくんが玄関の方へ歩き出した。
「だめだよ!」
 コウちゃんが顔を上げた。声は少し大きくなったけど、握った拳が震えている。
「ああ?」
 振り返ったリョウジくんの表情は、ちょっと怖かった。
 コウちゃんとリョウジくんはしばらくの間睨み合っていた。
 その時、庭の隅を猫が横切った。ガンネコさんの子どもじゃない。初めて見る猫だ。
『てめえ、どこの猫だ! 勝手に庭に入って来るんじゃねえぞ!』
 ツクちゃんが、もの凄い勢いで吠え始めた。だからぼくも吠えた。ツクちゃんが吠えると、ぼくも吠えなくちゃならないって気持ちになるんだ。
「な、何だよ」
 リョウジくんがぼくたちを見て後ずさった。
 いえ、きみに吠えたんじゃなくて、通りすがりの猫さんに注意を喚起しただけですが。
 コウちゃんは、リョウジくんをまっすぐに見て、大きく息を吸った。
「ゲームは貸せない。塾のない日に、ここで遊べばいい」
 今度は、はっきりとした大きな声だ。
 リョウジくんは、ちょっとびっくりしたような顔をして、
「わかった。じゃ、またな」
 と、走って帰って行った。
 コウちゃんが長い長い息をつく。そして、いきなり「ハックショーン!」
 ぼくたちもびっくりした。


 
「ハクションハクションハクション」
「ヘップシ」
「クシュッ」
「ヂーン」
 土曜日は、朝から絶え間なく、くしゃみとはなをかむ音が聞こえてくる。みんなのくしゃみ、ますますひどくなってるような気がするなあ。

23
「へえ、犬にも車いすがあるのね」
 テレビの音に重なって、ママさんの声がした。クルマイスって何だろう。おいしいのかな?
「ハツが歳を取ったら、必要になるかもしれんな」
 これはパパさんの声。歳をとったらもらえるのか。楽しみだ。
「私のクラスに車いすの子がいるんだけどね。手にもマヒがあって、鉛筆やお箸がうまく使えないの。定規で線を引くのも大変だし。コンパスもね。そういう人たちにも使いやすい道具が、もっと開発されればいいのに」
 ママさんが言った。
「ユニバーサルデザインってやつ?」
「あ、それ学校で習った。障害のある人や、お年寄りにも優しいデザイン」
「ハツだって好きで三本足になったわけじゃないし、みんないつかは歳を取るもんね」
「他人事じゃないねえ」
 くしゃみに交じって、シュンちゃん、コウちゃん、ミユちゃん、ばあちゃんの声も聞こえる。おいしい物の話じゃないのかな。
 


「ハツ、お前、前足の爪は伸びてるけど、後ろ足の爪は短いんだな」
 次の朝、新聞配達に行く前に、シュンちゃんがぼくの足を見て言った。ぼくの後ろ足は一本しかないから、すり減るのが早いんだ。
「爪、そんなに短くて痛くないのか?」
『別に、痛くないですよ』
 言っても通じないから、代わりに尻尾を振る。
「犬にも靴とか義足とか、あるのかな?」
 ギソク? 豚足は知ってる。こないだおやつにもらったから、大事に埋めてあるんだ。
 シュンちゃんは、ぼくの足をしばらくじっと見つめていたけど、そのうちに、 
「そういうの、作る仕事に就きたいな」
 って、つぶやいた。そして、「ヘップシ」とくしゃみして、新聞配達に出かけた。
 そういうのって、豚足のこと? うん、大賛成だよ。


 その日の夕方は、ミユちゃんを散歩に連れていってあげた。いつもはママさんを連れていってあげるんだけどね。ママさんはこの時季、とっても忙しいんだって。
「要録書かなきゃ、成績つけなきゃ」
 ヨーロクとかセーセキとか何のことかわからないけど、目が三角になっている。
「クシュッ。ああもう、ホント参る。早く、花粉の季節が終わってくれないかなあ」
 ミユちゃんの御機嫌は今一つだけど、
『天然ドッグラン、誰もいないといいね』
 ツクちゃんとぼくはルンルン気分で、ミユちゃんをワッパザワ公園へ引っ張って行く。
 天然ドッグランっていうのは、ワッパザワ川の河原のこと。河原に誰もいない時には、リードを外してもらえるんだ。
 期待通り、河原には誰もいなかった。
『ねえねえ、リード外して』
 遊歩道から河原に降りると、ぼくたちは尻尾をぶんぶん振った。
「はいはい」
 くしゃみ鼻水鼻づまりのミユちゃんは、よく確かめないで、首輪からリード外した。
 何を確かめなかったかって? 川にどれくらい水が流れているかってことだよ。
『イヤッホウ!』
 ツクちゃんは一直線に駆け出した。ぼくもツクちゃんの後をぼてぼてと三本足で走る。
「え? あああっ! ちょっと待って!」
 ミユちゃんが叫んだ。
『もう遅いです』
 そう、ここのところお天気続きで、川には水がほとんど流れていなかったんだ。
 ツクちゃんは、向こう岸へ渡って、雑木林へ飛び込んだ。ぼくもツクちゃんを追っかけて雑木林へ入る。
 雑木林を抜けて芝生広場に出ると、そこには、体育着姿でジョギングしている男の子がいた。
『あれ? アキトじゃん』

それぞれの春 2/5

ぼくは村田こげちゃったハツです

それぞれの春 2/5



「二年になると、進路別にクラスが別れるんだけどさ」
 シュンちゃんがぼそっとつぶやいたのは、次の朝、新聞配達に行く前のこと。
「何をしたいかって、訊かれてもね……」
 ぼくとツクちゃんの頭を代わるがわる撫でながらシュンちゃんは言った。
 何をしたいかって訊かれたら、もちろん、ぼくはジャーキーをお腹いっぱい食べたいって答えるよ。
『俺は空を飛んで、あの忌々しいカラスに一泡吹かせてやりたい』
 ツクちゃんが睨んでいるのは、ポヨタの社員寮の屋根に留まっているカラス。さっきからこっちを見下ろして『アホ~』って鳴いているんだ。
「やりたいことと、できることって別じゃない?」
『だな、犬は空を飛べねえ』
 ツクちゃんがうなずいた。 
「小さい時は、電車の運転士になりたいって思ってたけどさ。倍率高いんだよね。うちの高校は鉄道会社から募集が来ないし」
 よくわからないけど、電車や飛行機を動かすのは難しいらしい。そう言えば、ママさんは車の運転が下手だ。
「絵や写真をやりたいとか、映画の特撮やってみたいとか、漠然とは思ってて、一応、進路希望調査は、私立大学って書いたけど……」
 シュンちゃん、絵を描いたり、写真撮ったり、工作したりするのが好きだものね。
「夢を思い描くのは簡単だけどさ、それが実現可能かっていうと、なかなかね。夢は夢に過ぎないって感じがする」
 わかるよ。ぼくだって、ジャーキーをお腹いっぱい食べたいけど、そんなにたくさんもらえない。だから思い描くだけ。
「絵や写真は趣味に留めておいて、高校を出たら働こうかとも思ってるんだ――ヘップシッ」
 シュンちゃんは、「もう行くね」と、立ち上がると、車庫から自転車を引き出して、新聞配達に行った。
 ぼくもジャーキーはおやつに留めておいて、ちゃんとカリカリを食べないといけないってわかってるけど。難しいね。


「ねえ……リョウジくん、こないだ貸したゲームソフト……返してくれない?」
 家の中から、コウちゃんのおどおどとした声が聞こえてきたのは、その日の夕方だった。
「返せない。今、兄ちゃんがやってるから」
 ゲームの音に重なって、リョウジくんの声もする。
 リョウジくんっていうのは、コウちゃんの友だち。いつもランドセルを背負ったままうちに来て、ひとしきりゲームをしてから帰る。
「一度、家に帰って、宿題をしてからおいで」
 前に、ばあちゃんがリョウジくんにそう言ったら、「じゃ、このゲームソフト、貸して」って、持って行っちゃって、返してくれないまま、またうちに入り浸っているんだ。
「……ぼく、あのゲーム、まだ全クリしてないんだ」
「わかってるよ。兄ちゃんがいいって言ったら――あ、くそっ。ゲームオーバー」
「いつ、返してくれる?」
「だから、兄ちゃんが終わったら返すって言ってるだろ」
 貸したのはコウちゃんなのに、リョウジくんの方がいばってる。
 ここのところ、コウちゃんの元気がないのは、きっと、ゲームを返してもらえないからなんだな。
 その時、キーンココーン、キーンココーンと、有線放送の音楽が鳴った。遊んでいる子どもに家へ帰りなさいって知らせるための放送らしいんだけど、ぼくはこれを聞くと、どういうわけか一緒に歌いたくなる。
『うおーん、うおーん』
 気持ちよく歌っていたら、
『ハツ、うるせえぞ』
 ツクちゃんに怒られた。ツクちゃんは歌わないんだ。
『ご、ごめん……でも、う、うおーん』
 どうしても、音楽につられちゃう。ちなみに、ぼくは救急車のピーポーピーポーにもつられちゃう。
「やば、もう四時半? おれ、塾、行かなきゃ。じゃ、このゲーム貸して」
 リョウジくんの声がした。
「……えー、これも持ってくの?」
 コウちゃんは困っているみたいだ。
「すぐ返すからさ」
 バタバタと足音がして、間もなくランドセルを背負ったリョウジくんが玄関から出て来た。その後をコウちゃんが追いかける。

22
「ねえ、待ってよ」
 コウちゃんは言ったけど、
「おじゃましましたー」
 リョウジくんは、さっさと走って行っちゃった。 
「もうっ!」
 コウちゃんは、ドンっと足を踏み鳴らした。
 そんな大事な物なら、取られないように、穴を掘って埋めておけばいいのにね。

 その晩、コウちゃんはリョウジくんがゲームソフトを持って行っちゃったことをママさんに話したみたい。
「ゲームの貸し借りはよくないわ。はっきり断らなきゃだめじゃない」
 居間の方からママさんの声が聞こえた。
「……うん……」
 コウちゃん、だいぶしょんぼりしてる。
「もしかして、ゲームを貸さないといじめられるとか?」
「ううん。……けど、普段から遊ばれてるってか、いじられてる……かな。頭をゴシゴシされたり、頬を引っ張られたり」
「リョウジくんはコウのこと好きなのね。でも、嫌なことは嫌って言うのよ。今回は、ママがリョウジくんの家に電話してあげるけど、もう、ゲームを貸しちゃだめよ」
 ママさんが電話したら、リョウジくんのお母さんは、すぐにゲームを持ってやって来た。
「すみませんでしたね。買ってやった覚えのないゲームがあったんで、変だとは思ってたんですが……。私が勤めてるもんだから、目が行き届かなくて……」
「いいえ、こちらこそ足を運ばせてしまって申し訳ありません。うちでも同じですよ。私がいない間、子どもたちが何をしているのか、さっぱりわからなくて」
 お母さん同士で話している間、コウちゃんは、二階の寝室にこもっていた。下りてきて、リョウジくんのお母さんに、学校でいじられてること、言えばいいのに。
 


「学校で、リョウジくんが、夕べ返したゲームをもう一度貸せって……」
 次の日、学校から帰って来たコウちゃんは、家へ入る前にテラスへ来て、ぼくたちの前にしゃがんだ。
「ちゃんと断れるかな……」
 人間の社会にも順位制があるんだね。リョウジくんの方がコウちゃんより地位が高いから、コウちゃんは逆らえないんだ。ぼくもツクちゃんには逆らえないから、その気持ちはすごくよくわかる。
 そこへ、「ゲーム借りに来たぜ」と、ランドセルを背負ったままのリョウジくんがやって来た。

それぞれの春 1/5

ぼくは村田こげちゃったハツです

それぞれの春  1/5



「ハツ、おいで。毛を梳いてあげるから」
『やだ、やだ』
 ぼくは逃げようとしたけど、その前にばあちゃんに首輪をつかまれた。背中をブラシが走る。
『うう……』
 尻尾が下がっちゃう。ぼくは、お風呂と同じぐらいブラッシングが苦手。背中だけならいいけど、お尻や足に触られるのは何だか怖いんだ。これも足が取れちゃった時のトラウマなのかな。
「次は、ツクネだよ」
 ばあちゃんがぼくの首輪から手を放して、ツクちゃんにブラシをかける。
 ツクちゃんはおとなしくお座りしていた。ツクちゃんは、ばあちゃんにかまってもらうのが大好きなんだ。
「春だねえ」
 ブラシに絡まった大量の毛をゴミ箱に捨てながら、ばあちゃんが言った。
 その時、
「ヘップシ」
「クシュッ」
「ハクションハクション、ハックション!」
 家の中から、シュンちゃん、ミユちゃん、コウちゃんのくしゃみが聞こえた。
 うん。春だ。
 子どもたちのくしゃみと、ぼくたちの抜け毛は、春の風物詩。
 そう、これはじいちゃんが亡くなった次の次の年の、春のお話。


「ご褒美だよ」
 ブラッシングが終わると、ばあちゃんがジャーキーをくれた。
『やった!』
 ツクちゃんはすぐに食べ始めたけど、ぼくはまだ食べない。もったいないから。
 ぼくは、ジャーキーをくわえて庭の隅へ走った。そして前足で穴を掘る。その穴にジャーキーを落として、鼻で土をかけて埋める。こうやってしまっておいて、後で食べるんだ。

21
「ハツがまたホリホリしてるよ」
 後ろでコウちゃんの声がした。
『見つかっちゃった』
 ぼくは首をすくめて振り返った。ばあちゃんの部屋の掃きだし窓の所で、ミユちゃんとコウちゃんが、こっちを見ている。
「放っておけば」
 そう言ったのはミユちゃん。でも、コウちゃんは、ズズッとはなをすすりながらテラスへ降りて、ぼくの所へやって来た。
「そんなことしたら、汚くなっちゃうよ」
『いいの』
 土がついたぐらいで汚いと思うのは人間だけだよ。
 コウちゃんがぼくの隣にしゃがんだ。まさか、土を掘り返して、ジャーキーを取るつもりじゃないだろうね。
「コウ、ハツは大事な物を、かくしておきたいんじゃないの?」
 はい、ミユちゃんの言う通りです。
「そっか……」
 コウちゃんはジャーキーを取らなかった。代わりに、ぼくの頭をなでて溜め息をつく。何だか暗い顔だ。また学校で何か嫌なことがあったのかな? 
 一年生の時のコウちゃんは、学校へ行きたくなくて、玄関でぐずぐずすることがあったんだ。それで、ぼくとツクちゃんとじいちゃんが、登校班の集合場所までお見送りをした。でも、四年生になった今はそんなこともなくなって、毎日、普通に登校しているんだけど――。
「ハクションハクションハックション」
 コウちゃんてば、またくしゃみ。くしゃみのしすぎで疲れちゃったのかな?
「クシュッ」
 ミユちゃんもくしゃみした。
「これだから春は嫌。走ってる時に鼻水が出てくると、ほんと、困るんだよね」
 ミユちゃんはチンと、ティッシュではなをかんだ。中二のミユちゃんは陸上部で、長距離の選手なんだ。
「もう二月も終わりかぁ」
 ティッシュをゴミ箱に投げ入れると、ミユちゃんは空を見上げた。いいお天気だけど、空には煙みたいな薄い雲が一面に広がっている。
 空を見ているミユちゃんの顔は、ちょっと寂しそうだった。
「欲しいな……」
 ミユちゃんがつぶやいた。
『え?』
 ミユちゃん、何が欲しいの? ここに埋めたジャーキーはあげないよ。これはぼくのだからね。


「ヘップシッ」
 日の出前、家の中から聞こえてくるのはシュンちゃんのくしゃみ。
「目がかゆい~」
 ガラリと玄関の戸が開いて、シュンちゃんが出てきた。
 シュンちゃんは高校へ入ってから、新聞配達をするようになった。きっかけは友だちの紹介らしいけど、何かを続けてがんばりたいっていうシュンちゃんの気持ちにはまったみたいで、今のところ、弱音一つ吐かずに毎朝配達に行っている。
『いってらっしゃい』
 ぼくとツクちゃんは尻尾を振った。
「行ってくるね」
 シュンちゃんは、いつものように、ぼくたちの頭を撫でて、車庫から自転車を引き出す。
「春だね」
 自転車にまたがったシュンちゃんは、ちらほら咲き始めた椿を眺めて大きな溜め息をついた。そして「ヘップシ」と、またくしゃみをする。シュンちゃんも元気がない。くしゃみのせいかな? 

じいちゃんとガンネコさん 6/6

ぼくは村田こげちゃったハツです

じいちゃんとガンネコさん 6/6



  じいちゃんがぼくたちに会いに来た時、なぜ戦闘機の音がしたのかっていうのは、だいぶ後になってからわかった。
 じいちゃんが死んだのは六月一日で、その日は、じいちゃんが入院した病院に近いイルマっていう所で航空ショーがあったんだって。
 それで、じいちゃんが入院していた病院の真上を、戦闘機が編隊を組んで通過したちょうどその時に、じいちゃんは息を引き取ったんだって。
 じいちゃんは、飛行機に乗って、ぼくたちに会いにきてくれたんだね。

20


 ばあちゃんが帰ってきたのは、それから十日ぐらいしてからのこと。
 車から降りたばあちゃんは、だいぶやつれて、色白の顔が、いっそう白かった。
『ばあちゃん! ばあちゃん! お帰り!』
 尻尾だけじゃ振り足りなくて、お尻も一緒に振った。
「ただいま」
 ばあちゃんは、右の手でツクちゃんとぼくの頭を代わりばんこになでた。左の手は、白い大きな箱を抱えていた。
『本物のばあちゃんだよね。すーってお空に消えて行っちゃったりしないよね』
 ぼくは、心配でばあちゃんの匂いを嗅ぎまくった。手も舐めまくった。 
  ばあちゃんが本物だって、ガンネコさんやじいちゃんみたいにいなくなったりしないって安心するまで、ぼくはばあちゃんの手を舐めたよ。


 ばあちゃんは、わりあい元気だった、って言うか、元気そうに見えた。でも、ナキネコさんと同じように、元気なふりをしていたんだと思う。
 家に帰ってきてから、しばらくの間は、お客さんが出たり入ったりして忙しそうだった。
 お客さんも来なくなって、パパさんもママさんも、シュンちゃん、ミユちゃん、コウちゃんも、それぞれ仕事や学校に行って、ばあちゃんとぼくたちだけで留守番の日に、ばあちゃんは、ぼくたちを部屋へ入れてくれた。
 そこには、立派なお仏壇とかいう物があって、じいちゃんの写真が飾ってあった。
「何だか、まだ実感わかないね。そこにいて、呼ばれそうな気がするし、お昼になると、ご飯の支度しなきゃって焦ったりするんだよ」
 ばあちゃんは、お仏壇の写真をぼんやり眺めながらそう言った。
 ツクちゃんは、ばあちゃんの膝に乗って一緒に写真を見ていた。ぼくも、膝に乗せてもらいたかったけど、残念ながら、ばあちゃんの膝より、ぼくのお尻の方が大きい。仕方ないから、ばあちゃんの脇の下から顔をつっこんで、顔だけ膝に乗せた。
「あたしはA型でお父さんはB型で、全然気が合わなかったんだ。よく今まで保ったと思うよ。喧嘩してくやしくて、別れてやるって思ったこともあったのにね」
  独り言なのか、ぼくたちに言ってるのかわからないけど、ぼくたちは黙って聞いていた。
 ばあちゃんは静かな声で語り続ける。
「病院にいる時、もっとああしてやればよかったとか、こうしてやればよかったと……」
  ばあちゃんの声が詰まった。
「でも、もう何にもしてやれないんだよ……」
 ばあちゃんは、ツクちゃんとぼくの頭を両手で抱きかかえた。
『泣いていいんだぜ』
 ツクちゃんが、ばあちゃんの頬を舐めた。
『がまんしないで、泣いていいんだよ。大丈夫、ぼくたちしか見てないから』
 ぼくとツクちゃんは、ばあちゃんの右と左の頬を分担して舐め続けた。
 じいちゃんに頼まれたのはこのことだから。


 ガンネコさんが北風と一緒に空へ行っちゃって、じいちゃんが飛行機と一緒に空へ行っちゃってから、もう何年も経った。
 シュンちゃんも、ミユちゃんも大学生になって、コウちゃんも今年は高校生になる予定。
 じいちゃんが育てていた椿も、ランの花やハーブも、今はばあちゃんが手入れをしている。ママさんは時々草取り。パパさんは、花の苗と雑草の区別がつかないので、草取り禁止令が出ている。
 ナキネコさんも亡くなって、今、庭には、ガンネコさんの孫にあたるクマ一族が来ている。猫なのにクマ。名付けたのはパパさん。ぼくの名前もパパさんがつけたけど、どういうネーミングセンスをしているのか、ちょっと疑っちゃう。
 シュンちゃんとミユちゃんは、普段は家にいないけど、長い休みには帰ってくる。
 ぼくは暑いのは苦手だけど、夏休みは好き。だってみんなが家に帰ってくるから。

 そうだよ。みんなだよ。

 夏休みが終わる頃、ばあちゃんは、玄関の前で木を燃やすんだ。そうすると、じいちゃんも帰ってくるんだ。ガンネコさんもナキネコさんも、みんな一緒に。
 お盆、て言うんだって。
 じいちゃんやガンネコさんたちの姿は人間には見えないらしい。でも、ぼくとツクちゃんにははっきりわかる。
 じいちゃんは、笑っているような顔をいっそう和ませて、大きくなったシュンちゃんやミユちゃん、コウちゃんの様子を見たり、ばあちゃんと一緒にテレビを見たりする。
 ガンネコさんは、ナキネコさんと並んでスタッドレスタイヤの上に寝そべって孫たちを見ている。例のサファイヤブルーの目を細めてね。
 三日ぐらいして、またばあちゃんが玄関前で木を燃やすと、じいちゃんはガンネコさんたちを連れて空に帰って行く。
 その前に、ぼくたちの頭をなでて、
 ――お利口にしているんだぞ。ヤスコを、みんなを頼むな――
 って言ってね。

じいちゃんとガンネコさん 5/6

ぼくは村田こげちゃったハツです

じいちゃんとガンネコさん 5/6 

  ガンネコさんを埋めた土の上に石を置くと、ママさんは家の中に入ったけど、パパさんはぼくたちの所に来た。その場にしゃがみ込んで、ぼくたちの頭を代わる代わるなでる。
「俺は昔から、親父とあまり話をしなかった。子どもの時に遊んでもらった覚えもないし」
 丸い月が、悲しそうなパパさんの顔を照らした。

19
 じいちゃんは若い頃、新聞社に勤めていて、夜勤が多くて、たまに家にいても、大抵は寝ていたんだって。
「俺が、子どもたちとうまく話せないのは、そのせいかもしれない。父親として、どう接していいのかわからないんだ」
 いや、そもそもパパさんは、子どもたちが起きる頃には会社に行っちゃって、コウちゃんが寝てから帰って来るんだもの。話をする時間がないでしょ。
「きっと、親父も同じ気持ちだったんだと思う……」
 そこでパパさんは声を詰まらせた。
「……医者が、痛み止めは心臓に負担がかかると……。でも、これ以上苦しませたくないんだ……。俺は、どうしたら……」
 何のことを言っているのかわからないけど、ぼくとツクちゃんは、黙ってパパさんの言葉に耳を傾けていた。

 春休みになった。じいちゃんとばあちゃんはまだ帰ってこない。
 いつもなら、春になればじいちゃんが庭の草取りをして、花をいっぱい植えるのに、じいちゃんがいないから、ママさんが庭の草取りをした。
 花の苗も植えたけど、去年の春ほどいっぱい咲かなかった。

 春休みが終わって、ミユちゃんは中学生になった。シュンちゃんは中三、コウちゃんは小三。
 この頃から、土日にみんなで出かけることが多くなった。みんなって言ってもぼくとツクちゃんはお留守番だけど。午前中出かけていって、夜遅くに帰ってくる。
 パパさんの車がお庭の前に止まると、じいちゃんとばあちゃんが一緒に降りてくるかな、って期待するけど、じいちゃんもばあちゃんも降りてこない。早く帰ってきてほしいのに。

 なんで、じいちゃんとばあちゃんが帰って来ないのかわかったのは、土日じゃなくて、平日にみんなで出かけちゃった時のことだった。それは確か、シュンちゃんとミユちゃんの中間テストの日。
 突然、ばたばたって、家の中が慌ただしくなって、
「……会いたがってるんだって。……学校にはママが連絡するから」
  せっぱ詰まった声がして、みんなで出かけちゃったんだ。
 何があったんだろう。 みんなの帰りを待っている間、すごく不安だったよ。
「ただいま」
 みんなは夜遅く帰ってきて、シュンちゃんがいつも通りぼくの頭をなでた。シュンちゃんはお出かけから帰ってくると、お家に入る前に、必ずぼくの頭をなでるんだ。
  ぼくはその時、学校がある日なのに、みんなで出かけた理由がわかったんだ。
  その日のシュンちゃんの手からは、病院の匂いと、そして、じいちゃんの匂いがしたんだ。
 元気なじいちゃんの匂いじゃなかった。死ぬ前のガンネコさんと同じ、冷たくて怖い匂いがした。
 

 突然、じいちゃんが帰ってきたのは、夏の初めのよく晴れた日のことだった。
 ママさんとパパさんは仕事を休んで出かけちゃって、もう三日も帰ってこない。その間、スミばあちゃん(ママさんの実のお母さんにあたる人なんだって)が来て、御飯のしたくをした。
 シュンちゃん、ミユちゃん、コウちゃんは学校へ行っちゃって、スミばあちゃんも自分の家に帰っちゃって、ぼくは、暑いお日様を避けて、日陰でうつらうつらしていた。そうしたら、いきなり、ゴーッて飛行機の音がしたんだ。
 ぼくは、不思議に思って空を眺めた。
 飛行機の音は別に珍しくないんだけどね。ジェット旅客機だって空の高い所を飛んでるし、近くに飛行機の学校があって、プロペラ機やグライダーもしょっちゅう飛んでるから。
 でも、その飛行機の音は、いつもの飛行機の音じゃなかったんだ。ジェット戦闘機っていうのかな、速くて小さいジェット機。
 けれど、お空にはそんな飛行機は飛んでない。おかしいなって思ったら、お庭にじいちゃんがいたんだ。
『じいちゃん! じいちゃん!』
 ぼくは、ちぎれそうなほどしっぽ振ったよ。もちろん、ツクちゃんも。
 じいちゃんはいつも笑ってるような顔を、いっそうなごませて、ぼくたちのいる柵の中に入ってきた。
『……あ』
 ぼくはその時に知った。
 じいちゃんは、もう……。
 だって、じいちゃんは、柵の扉を開けないで、すーっと入って来たんだもの。
 ――元気にしてたか?――
 じいちゃんの声は耳から入ってこなくて、頭の中で聞こえた。匂いもしなかった。
 ぼくは、すごく悲しかった。こんなに悲しいのは、犬の母さんと別れたとき以来だ。
 じいちゃんの手の平がぼくたちの頭をなでる。でも、頭には手の重みも温かさも感じなかった。それがまた、とっても悲しかった。
 もう、じいちゃんに散歩に連れてってもらえないんだ。もう頭をなでてもらえないし、ブラシをかけてもらえないし、肩をもんでもらえないんだ。
 ――ヤスコを頼むな――
 じいちゃんは言った。ヤスコっていうのは、ばあちゃんのこと。
『うん』
『わかってるよ』
 ぼくとツクちゃんは即答した。ガンネコさんの時と違って、ぼくは何をすればいいのか、ちゃんとわかってたから。
 ――お利口にしているんだぞ――
 じいちゃんはそう言うと、ゆっくりと空に昇っていった。
『待って、じいちゃん!』
『まだ行くなよ!』
 ぼくとツクちゃんは引き留めたんだけど、じいちゃんは答えずに、笑って手を振った。
『じいちゃん! じいちゃん!』
 声の限りに呼んだ。でも、じいちゃんは昇っていく。
 また、ゴーッてジェット戦闘機の音がした。
 そして、戦闘機の音が消えたとき、じいちゃんの姿も消えていたんだ。

じいちゃんとガンネコさん 4/6

ぼくは村田こげちゃったハツです

じいちゃんとガンネコさん 4/6



『ポヨタの社員寮の、西っ方の狩り場は、お前にやる。子どもらにもそう言っておけ』
 ほとんど食事がとれなくなったガンネコさんが、ナキネコさんに言った。
『何、遺言みたいなこと言ってんのよ。ばかねえ』
 ナキネコさんは笑った。無理に笑ってる感じだった。
『万が一のときのことを言ってるのさ』
 ガンネコさんも笑った。
『わかったわ。憶えておくわよ。あんたが死んだら、あの狩り場はもらうわ。何年先のことになるか知らないけど』
 もうすぐ死んじゃうかもしれないガンネコさんと、ナキネコさんは、そんな会話をしていたんだ。
 お互いに相手を思いやって、すごく心配しているんだけど、それを顔に出さない。ガンネコさんらしい、そしてナキネコさんらしい会話で、ぼくは切なくなったよ。 


 春はもうそこまで来ていたのに、その日は、どういうわけか冷たい北風が吹いた。
 夕方、ママさんが帰ってくると、ガンネコさんがやってきた。ママさんは、ぼくたちの御飯より先に、ガンネコさんに温めたミルクをあげた。ぼくたちもお腹空いてたけど、黙って待っていたよ。
 でも、ガンネコさんは、ミルクを一口二口なめただけで、食欲はまったくなさそうだった。
 ママさんが家に入ると、
『寒いな』
 ガンネコさんは、低い声でつぶやいた。
『今日は風が強いからな。そっちに俺が前に使っていた小屋がある。とりあえずそこへ入ってろ』
 ツクちゃんが言った。
 当時、ぼくたちは、柵に囲われたスチール製の大きな犬小屋に住んでいたんだけど、ぼくがこの家に飼われる前、ツクちゃんはリードでつながれていて小さな犬小屋に住んでいたんだって。その小屋が庭の端っこに置いたままになっていたんだ。
『そうさせてもらうか』
 ガンネコさんは、古い犬小屋に入った。
『なあ』
 ガンネコさんの声がした。弱々しい、か細い声だったよ。
『何?』
 ぼくは柵の隙間から鼻を出して、ガンネコさんのいる犬小屋をのぞき込んだ。
『あいつを、……頼む』
 あいつって、ナキネコさんのことだ。でも、何て答えたらいいんだろう。頼まれたって、ぼくたちはつながれてるか、この柵の中にいるかで、ナキネコさんに何にもしてやれない。
『え、えーと……』
 ぼくが答えに困っていると、
『任せておけ。ナキネコとお前の子ども以外の猫が来たら、せいぜい吼えて追い返してやるさ。そこの狩り場にも、よそもんは前足一歩たりとも、踏み入れさせやしねえ。それでいいか』
 ツクちゃんが言った。
『……ああ。……それでいい』
 ガンネコさんは息混じりの掠れた声でそう答えると、目を閉じた。
『やはり、ここは極楽だな……』
 ぼくはそれを聞いて、ガンネコさんがこのお庭に住むことにした理由がわかった。ガンネコさんがはじめてここに来たとき、ここは安全だし、三度の御飯が食べられるって言ったんだ。その時は、ボス猫がそんな怠惰なことを言うなんて変だと思ったんだけど、ガンネコさんは自分のために、ここをすみかにしたんじゃなかったんだ。全部ナキネコさんのためだったんだ。
『……こんな無様な姿を、さらしたくはなかったんだがな……』
 途切れ途切れにガンネコさんは言った。
 ツクちゃんは答えなかった。ぼくも何て言ったらいいのかわからなかった。
 風がビューって音を立てて、椿の花が、ボトッ、ボトッと落ちて、ガンネコさんの息がヒュー、ヒューって聞こえた。
 ぼくたちには、どうすることもできなくて、ただ、風の音と、椿が落ちる音と、だんだん小さくなっていくガンネコさんの息の音を黙って聞いていた。
 ガンネコさんからは、冷たくて怖い匂いがしていたよ。
 丸い月が空の真ん中にきた頃、ガンネコさんは、大きく一つ息を吸うと、それをゆっくり吐き出した。
 そして、それきり息の音は聞こえなくなった。
 聞こえてくるのは、椿の落ちる音と、風の音だけになった。
 ガンネコさんは、北風と一緒に行ったんだ。
『フン』
 鼻を鳴らして、ツクちゃんは大きなスチール製の小屋に入った。 
 ぼくは、すごく悲しくて、とても眠る気になんかなれなくて、しっぽを垂れたまま、じっとガンネコさんのいる小屋を見ていた。
 ナキネコさんが現れたのは、それから間もなくだった。
『逝った?』
『来てたの?! だったら、何でガンネコさんに会わなかったの?! せめて最期ぐらい――』
 思わず責めた。
『死ぬところを私に見られて、あのひとが喜ぶと思う?』 
 ナキネコさんの声は、怒ってるみたいだった。
『……そうだね……』
 あのガンネコさんのことだもの、奥さんに弱いところは見せたくなかったに違いない。
 ナキネコさんは、ガンネコさんのいる小屋をのぞき込んだ。こっちからはナキネコさんのお尻しか見えないから、ナキネコさんがどんな顔をしてるのかわからない。でも、その後ろ姿はひどく悲しそうだった。
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『ナキネコさん……』
 ぼくが声をかけると、ナキネコさんは顔を上げた。でも、こっちは向かない。
『うるさいわね! 泣いてなんかないわよ!』
 泣いてたんだな、と思った。
『同情なんて結構よ! 約束通り、この庭とそこの狩り場はもらうわ。そして、生き抜いてみせるわ。子どもたちも立派に育てあげるわ。あんたたちもせいぜい協力してちょうだいね!』
 ナキネコさんは、叫ぶようにそう言って、ポヨタの駐車場に駆けて行ってしまった。
『気のつえぇ女だな』
 小屋の中で、ツクちゃんがつぶやいた。
 ナキネコさんは、誇り高いガンネコさんにふさわしい奥さんだ。
 でも、大好きなひとを失っても、泣き顔も見せられないなんて……。
 ぼくは、ナキネコさんがかわいそうだと思った。
 


 翌朝、ママさんは仕事に行く前、ミルクのお皿を持ってお庭に出た。でも、ガンネコさんはやって来ない。来られっこない。ガンネコさんは古い犬小屋の中で冷たくなってるんだもの。
 でも、そのことを知らないママさんは首を傾げると、ミルクのお皿を持ったまま、一度お家に引っ込んで、仕事に出かけちゃった。
 パパさんはもうとっくに会社に行っちゃって、シュンちゃんも、ミユちゃんも、コウちゃんも学校に行っちゃって、ぼくとツクちゃんでお留守番。
 今日は暖かい南風。穏やかな春風に乗って、ガンネコさんの匂いが届いてきた。風は暖かいのに、春の匂いがいっぱいなのに、ガンネコさんの匂いだけが違った。
 冷たい死の匂い――。
  もう、ガンネコさんはいないんだと、いつも堂々として迫力満点のボス猫はもういないんだと、思い知らされた。
 ぼくたちはガンネコさんとの約束を守った。
 猫のネットワークってどういう仕組みなのかわからないけど、ガンネコさんの死はご近所に知られたらしい。ボス猫不在をかぎつけた猫たちが、ポヨタの西の草むらや、村田家の庭にやってきた。
 ぼくたちはここぞとばかりに吼えたてた。すると、猫たちはすごすごと引き下がっていった。
 夕方になってママさんが帰ってきた。バタバタと夕飯の支度をして、その後ガンネコさん用のミルクを持って、お庭に出てきた。
 さすがに変だと思ったんだろう。ママさんは庭をうろうろし始めた。
『そこ、その古い犬小屋』
 ぼくはママさんに言った。通じたのかどうかわからないけど、ママさんは背をかがめて小屋をのぞいた。
「……こんなところで……」
 もうその時は、ガンネコさんは、手足をつっぱらせて固まっていた。
  ママさんは、ミルクのお皿を犬小屋の前に置いた。もうガンネコさんは飲めないのにね。



夜遅くになって、パパさんが帰ってきた。しばらくすると、パパさんは大きなスコップを、ママさんは懐中電灯とタオルを持って、庭に出てきた。
パパさんは、庭の西の隅に、大きな穴を掘った。ママさんがそれを懐中電灯で照らす。
 パパさんは、手足をつっぱらせているガンネコさんを苦労して小屋から出すと、タオルにくるんで、穴の中に寝かせた。
「親父には言えんな」
 ガンネコさんに土をかけながら、パパさんは低い声でつぶやいた。
「……そうね」
 ママさんも、低い声で返事をした。
 パパさんの親父って、じいちゃんのことだ。
 じいちゃんは、クリスマスイブの日に出かけたきり帰ってこないけど、ガンネコさんに名前をつけたのは、じいちゃんだもの。ガンネコさんが死んじゃったこと、教えてあげればいいのにって、ぼくは思ったよ。

じいちゃんとガンネコさん 3/6

ぼくは村田こげちゃったハツです

じいちゃんとガンネコさん 3/6


フジバカマも菊も枯れて、夕ご飯の前にお日様が沈んじゃう季節になった。 
 ママさんが冬休みに入った。
 じいちゃんはますます元気がなくなって、いつもの散歩の時間になっても、腰を上げなくなった。
「私が犬の散歩に行きますね」
 ママさんがじいちゃんに声をかけた。
 今までなら、「いいよ。僕が行くから」って言っていたのに、
「行ってくれるか。悪いね」
 じいちゃんは、こたつに入ったまま、すまなそうに答えた。
 その頃には、じいちゃんは、相当具合が悪かったんだと思う。
 

 それは、クリスマスイブの夕方、
「じゃ、行ってくるね。お利口にしているんだぞ」
 じいちゃんはぼくたちの頭をなでた。
 今思えば、生身のじいちゃんになでられるのは、それが最後だった。


 暮れも押し詰まった頃、ばあちゃんが泊まりで出かけた。
 お正月が過ぎて、しばらくするとパパさんもお泊まりで出かけた。
 パパさんは一泊だけして帰って来たけど、じいちゃんもばあちゃんも帰って来ない。何だか、パパさんは変な雰囲気だった。
 その夜、居間の方でパパさんとママさんが、小さな声で何か話していた。
「……手遅れ?」
「告知された。でも、親父は聞いてないふりをしていて……」
 そんな言葉が途切れ途切れに聞こえてきた。
『パパさんもママさんも、悲しそう。何の話だろう』
 ぼくは不安になって、ツクちゃんの小屋をのぞいた。
『ああ、たいしたことなけりゃいいけどな』
 ツクちゃんも心配そうに、耳をそばだてていたよ。


 冬休みが終わって、ママさんは仕事に行った。シュンちゃんも、ミユちゃんも、コウちゃんも学校。
 じいちゃんもばあちゃんもまだ帰ってこない。
 だから、ぼくたちだけでお留守番。
 小二のコウちゃんが、一番早く帰ってくる。じいちゃんもばあちゃんもいないから、コウちゃんは自分で玄関の鍵を開けなくちゃならない。
「ばあちゃんとじいちゃん、早く帰ってこないかなあ。ひとりでお留守番、いやだなあ」
 コウちゃんは、ぼくたちの首に腕を回して、ぎゅっと抱きしめると、心細そうに言った。
『ひとりじゃないよ。ツクちゃんとぼくもいるよ』
 ぼくは尻尾を振った。本当は、ぼくも心細かったけど。
 夕方、ミユちゃんとシュンちゃんが帰ってきて、お洗濯物をとりこんで、ミユちゃんがモップで部屋のそうじをして、シュンちゃんが風呂のそうじをした。
 ママさんが帰ってくるのは、すっかり暗くなってから。
『お散歩は? ごはんは? じいちゃんは?ばあちゃんは?』
 ぼくとツクちゃんは、ママさんの顔を見てついつい大騒ぎ。
「静かにしなさい。ちょっと待っててよ」
 ママさんは、御飯のスイッチを入れて、ぼくたちを散歩に連れ出した。
 それまでは、散歩はじいちゃんが連れていってくれたし、お洗濯をとりこむのも、御飯の支度も、ばあちゃんがしていたのに――。
「お腹空いた? おじいちゃんが入院しててね。おばあちゃんも当分帰ってこられないのよ」
 ママさんの声は暗かった。じいちゃんやばあちゃんがいた頃、ママさんは、いつもぼくたちと散歩に行くのを楽しんでいたけど、その時のママさんは、ちっとも楽しそうじゃなかった。


 ガンネコさんも、元気がなくなっていた。ひなたぼっこの時間が長くなって、滅多にタイヤから降りて来なくなった。(冬だから、スタッドレスタイヤは、車に付いていて、積んであるのは普通のタイヤ)
 カリカリのキャットフードが食べられなくなったらしくて、ママさんは缶詰のキャットフードを買って、ガンネコさんにやってた。
『大丈夫?』
 ぼくが尋ねると、すっかり毛づやの悪くなったガンネコさんは、
『歳だから、しょうがねえな』
 弱々しい笑みを浮かべてキャットフードを舐めた。
  ナキネコさんは元気で、子どもを連れて時々現れる。子どもたちを遊ばせておいて、ガンネコさんの隣でひなたぼっこ。
『それがさあ、ポヨタの裏のブチ猫がね』
 ご近所の噂話をだんなさんに語るのは、どこのうちの奥様もおなじ。聞いていようがいまいが、ひたすら喋りまくる。
 ナキネコさんは、ガンネコさんの具合が悪いことに、気づいていないみたいだった。
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 春が近くなって、庭の椿が花をつけ始めた。
 ガンネコさんはげっそりと痩せてしまって、黄色い縞模様の毛皮も古い毛布みたいに毛羽立ってしまって、もう缶詰のキャットフードも食べられなくなっていた。ママさんは、温めたミルクをガンネコさんにやった。でも、それも全部は飲めない。
 もう長くない――。
 野生の勘っていうのかな(ぼくは飼い犬だけど)何となくそれがわかった。
『残すの? じゃ私が飲むわよ』
 ガンネコさんの飲み残しのミルクを、ナキネコさんは、平然として飲んだ。
『ナキネコさん、冷たいなあ。ガンネコさんの具合が悪いことに気がついてないのかな』
 ぼくは、ぼそっとつぶやいた。
『いや、気づいてるさ。その証拠に、あいつ、鳴いてなかった』
 いつの間にか、ツクちゃんもぼくの隣に立って、柵の隙間からガンネコさんとナキネコさんの様子を見ていた。
『鳴いてなかった?』
『ガンネコが、ミルクを飲んでいる間、ナキネコは黙って待ってただろ』
『あ、そうか』
  ガンネコさんが元気だったとき、ガンネコさんがおいしい物を食べてると、
『わたしにもちょうだい、ちょうだい、ちょうだい』
 って、ナキネコさんは、それこそ名前の通りニャーニャーうるさかったんだ。でも今、ナキネコさんは鳴かなかった。
 ガンネコさんが弱っていることに、ナキネコさんは気づいていないんじゃない。気づいてないふりをしているだけなんだ。
『ガンネコの命が長くねえことを、ナキネコも、ガンネコ自身もよくわかっている。だが、そう思っていることを、互いに知られたくねえのさ』
『そっか……』
 ナキネコさんは、ガンネコさんが大好きなんだもの、きっと、すごく心配しているはず。でも、それを顔に出さないようにしていたのか。
 ガンネコさんも、自分の死期が迫っていることを口に出さないのは、きっと、ナキネコさんに心配かけたくないから。
 そんなふたりの本心が垣間見えたのは、それからまもなくのことだった。

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